コモンウェルス(上) (2012, アントニオ・ネグリ&マイケル・ハート)

ネグリとハートによる『〈帝国〉』『マルチチュード』の続編として位置付けられる。本書のレビューは、すでに大学院のプロジェクト科目のサイト(http://mobile-methods.net/)に寄稿したのだが、その時書いた内容をベースにしつつ、あらためてここにも収録しておきたい。

『〈帝国〉 』は10年以上前に、当時所属していた学部のゼミで輪読した。難解でかなり苦労したが、刺激に満ちた内容だった。ネグリとハートが〈帝国〉と呼んだ、冷戦終結後の世界に登場した国民国家に代わるグローバルな主権、つまり、国民国家の枠を越えたグローバルな資本主義システムの暴力性を、どのように〈飼いならす〉か。それが、当時のゼミの議論のテーマだった。

帝国〉に対する〈マルチチュード(多様な人びとの群れ)〉は、マルクスの『資本論』で描かれている男性を中心とした労働者だけでなく、主婦・主夫、失業者、学生、老人、移民、障がい者、セクシャル・マイノリティなど多様な人びとを含むコンセプトである。〈帝国〉の内部で支配されながらも、〈帝国〉の仕組みを逆用したり、「飼いならして」対抗運動を起こす可能性を秘めた存在だ。

本書の〈コモンウェルス〉は、その〈マルチチュード〉が〈帝国〉と闘うための武器となる〈共〉的な富を意味する。空気・水・大地のめぐみなどの「自然資源」と、知識・言語・情報などの「社会資源」とを合わせたコンセプトだ。伝統的な自由放任主義によってもたらされた市場の失敗を国家がカバーするという「大きな政府」のやり方が財政赤字をもたらした結果、自然資源も社会資源も際限なく「私的所有(民営化)」するという新自由主義の流れが生まれた。社会主義はそれに抗って、「公的所有(国営化)」を目指した。しかし「公的所有」路線は各国で破綻、一方の「私的所有」路線は、〈帝国〉という巨大なグローバル権力を生み出し、多くの人びとを追い詰めてきた。〈私〉か〈公〉かという所有をめぐる二項対立を乗り越えるために、〈共(コモン)〉というコンセプトが必要だというのが、本書の主張だ。〈共〉を腐敗させる力を持つものとして、「家族」「企業」「ネーション」が描かれる。しかし、そういう組織やグループを持たずに、〈マルチチュード〉が豊かに共存するためにはどうしたらいいのか。それは先日レビューしたばかりの『協力する種』もそうだったが、やはり答えが見えない。